もんがいさん:追記というか自分にとっての数学
久しぶりのl-e勉強会もんがいさんでした。今回は初のリモートで。宇宙際タイヒミュラー理論の考え方を自分なりに発表してみました。終わってから思い出したことを赤裸々に書いてみようと思います。
そもそもなんで数学に興味を持ったのか。はっきりいってものすごくネガティブな感情がきっかけ。
20代後半か30才になったばかりのころだったと思う。とにかくアートというものに絶望してた。アートとかなんとかいう免罪符で人間のエゴのために他人を利用し、お互いに私利私欲の騙し合い、恨み辛み妬み嫉み、傷つけ合い、肉体的精神的暴力、そんなのばかり見せつけられ、被害にもあい、もう心底人間にうんざりしてた。人間社会の価値観を超えたものを求めないと気が狂いそうになってた。そこでたどり着いたのが数学だった。
数学はこの宇宙にあるモノや現象を最低限に切り詰めされた数式で表わす。文学における俳句のように。大学の時に俳句をつくる授業があった。そこで俳句とは何かという説明に、人間の感情を入れず、ただ目の前にあるモノ、現象を端的に5.7.5に当てはめるだけというのがあった。当時ものすごく衝撃を受けた。数式は俳句に似た、それより研ぎ澄まされた美そのものを感じることができる。
古代から数学では、ある理論
を"作った"ではなく"この宇宙(神)に隠されていた秘密を発見した"という言い方をする。ただ宇宙(神)は何も隠してはいない。人間が気づかないだけ。人間はほとんどのことをわかってはいないし、わかることはない。それでもわかりたい。それが数学のあり方。そこに本当に救われた。また人間が知覚できない世界まで押し広げてくれる。無限、虚数、多次元など。それは科学を超えているのでは。例えば"三角形の内角の和は180°"これはどんな時代、どんな世界でも絶対に揺るぎない。しかし実際にそれは人間には知覚できない。それはなぜか。三角形は直線でできてる。直線自体が人間には知覚ができないから。地球は丸くて重力があるから地球上では直線は曲がってしまう。ではレーザーを使って空中に書いてみてはどうか。レーザーは目にみえてしまう、目に見えてしまうということはそれは線ではなく面積を伴ってしまっている。それは線ではない。ただ三角形の内角の和は180°であるという概念だけがある。僕はそういうことにものすごく魅力的に感じる。
でもきっと数学界にもいろいろと人間のエゴがつきまとうんでしょう。でも数学の定理は絶対に揺らがない。